ぜんさいの多分、駄文。

てきとーなこと書いてる

麻雀とサークルについて

先日、私が代表という形になっている麻雀サークルが所属100人を超えた。

自分でもこんなに人数が増えるとは思っていなかったが、実は100人は行けるもんだと思っている部分もあった。

 

自分が麻雀を始めたのは多分高校2年だった気がする。

元々、麻雀という存在は興味があって、それは父が麻雀を昔やっていたという影響とテレビでMONDOのプロ対局を見て面白そうだと思っていたからである。また、家に麻雀のゲームが置いてあったりしていたので、ルールを知らないながらも中学生くらいの時に少し触っていたのもある。

ちゃんとルールを覚えたのは高校でたまたま個人的にMJという麻雀アプリをダウンロードして遊んでみたのがきっかけである。

周りでやっている人なんていなかったのでネットでルールを調べながら覚えた。

高校3年生になった頃に、周りにも麻雀が出来る人がいたので休み時間にMJで遊んだり、カード麻雀で遊んだりしていた。

 

その後、私は受験に失敗し(麻雀のせいではなくどちらかというとサボっていただけ)1年間浪人していたが、その間に中学の友達と割り勘で麻雀牌とマットを買って初めて牌を使った麻雀で遊んだ。(ただ浪人中は麻雀よりスプラトゥーンにハマっていた)

 

そして、大学に合格した後、まだコロナ禍だったがサークルとかあれば入りたいなあと思ってTwitterで調べていたら、活動してるんだか分からないような麻雀サークルを見つけた。

連絡してみたら、意外にもすぐに返信が来てすぐに活動(ほぼただのセット麻雀だったが)に参加した。そこで初めての雀荘デビューだったと思う。高田馬場のジャンワセだった。

緊張しながら参加したが、とてつもなく楽しかった。そして、そこで代表だった先輩にボコボコにされて、こんなに強い人がいるなら自分も上手くなりたいと初めて思った。

そこから、ちょくちょく活動があり(その頃から私が呼びかけないと人が集まらない状況だった)コロナの第何波だかを挟んで1年が経っていた。

本当は合宿とか色々やる予定だったらしいが、予定が合わずにできなかった。今でも先輩と麻雀だったり遊びに行きたいと思っているが、グループを抜けてしまったり連絡がつかなかったりで悲しいものである。

そして大学2年になって参加したある日、代表の先輩から「やる気あるでしょ、運営任せるわ」と言われTwitterアカウントを教えてもらい、すべてを任されてしまった。

 

少し話は変わるが、自分は高校の頃から何か企画を運営していたことが多かった。

ウイニングイレブンというサッカーゲームの大会を個人的に開いて、少ないながらも賞金を用意して結構盛り上がったこともあった。

まとめる力が高いとは思っていないが、何か面白いことをしたいという気持ちが強かった。

 

その時の影響からか、受け渡された麻雀サークルも任されたからには盛り上げていきたいと思っていた。あと、単純に自分が麻雀を打てる相手が欲しかったのもある。

そこからTwitterで毎日のように呼び掛けて、ちゃんと決まった曜日、決まった場所(現在は新宿)で定期的に活動するようにした。

すると、予想よりも多くの入部希望者が現れ、夏休み前には50人ほどになっていた。しかも、その頃はインカレではなく、自分の大学のみで募集をかけていたのでなおさら驚いた。

その後、夏休み中にインカレサークルにシフトチェンジし、現在では100人ほど所属するようになった。

夏休み前には、雀荘と契約のような形で安くグループで卓を貸してもらえるようになったり、10月から自分の運営で2か月のサークル内リーグ戦を行ったりしていた。

さらに、来年には他のサークルとの交流戦やサークル内のチーム対抗リーグ戦なども控えている。

 

今後どうするのか、みたいなことを聞かれたり自分でも考えたりしているのだが、明確なものはあまり決まっていない。

個人的には公認のサークルではないので公認にできればしたいと考えていたり、プロの人だったりを招待して指導してもらうなどの企画ができればいいなとか考えているが、それも別にはっきりとしているわけでもない。

 

言えることとしては、周りの人にかなり恵まれているという点である。現状、サークルで大きな問題は起こっていないし、リーグ戦も協力してくれたおかげで最後までやり遂げられた。

この恵まれた環境をさらに生かせるように運営だったり、意見を取り入れていきたい。

また、MリーグだったりVTuberの麻雀ブームだったりでさらに新規の人が増えると私は思っているのでその人たちも安心して遊べるような環境を作りたい。

例えば、なるべく禁煙で行える場所だったり、健全なゲームにするためのサークル運営だったり。

 

最近、麻雀をする上で「賭けないと気持ちが入らない」ということを言われたりするのだが、自分自身は賭けて麻雀したいという気持ちがあまりよく分からない。麻雀の技術だったり心理の読み合いだったりが面白いのに、増やしたいという気持ちが無いしわざわざ減らすことをしたくはない。大体、普通に麻雀で負けただけで私は悔しくて、見返したり、相手のどこが上手くいってるのかだったりを見たりしているので、わざわざ付加価値を付けたいとはそこまで思わないし、賭けてもそんなに気持ちは変わらない。

運営する上では理解することは必要だとは思っているが。(実際全く理解できないわけでもない)

 

とりあえず、もっと麻雀は上手くなりたいので頑張る。

あと家に全自動麻雀卓欲しい。

 

 

 

必ず何かに影響を受けて生きていく(あと適当な雑談)

タイトル通りの話をしていくだけである。

別に諭すこともしないでただ自分の思っていることを書くだけだ。

私のこの文章の書き方も、ヨルシカのコンポーザー兼ボカロPであるn-bunaさんの書き方に大きく影響を受けている。

n-bunaさんはコラムや様々な記事、作っている曲の中でも「この世の中に本当のオリジナルなんて存在しない。音楽だってバッハの時代に既に出尽くした(正確な文ではないがこんな感じのことを言っていた)」と言っている。

実際に自分もそう思っている。

私が今ずっとやっている麻雀だって、ある程度ゲームの進行にセオリーがあり、それは今までやってきた人の真似である。

自分だけの戦術だなんて絶対に言えない。

私の考えの中心だって、n-bunaさんの曲の歌詞、その他色々な人の話から成り立っている。

自分の考えだと主張しても、根底には誰かの考えが潜んでいるのである。

別にそのことが悪いことだとは言っていない。

ただ、ゼロから何かを生み出したと勘違いして生きていくのは嫌だと思っているだけである。

自分一人で上手くいく物事なんて、ほぼ存在しない。

周りの力、先代の知恵を生かして自分を構成していく。

物事自体はオリジナルじゃないかもしれないが、表現の組み合わせを変えれば今までとは違った何かができると思っている。

実際、現代で作られている音楽は色々なリズム、楽器、メロディーの組み合わせを変えて作られている。

音自体は増えていないが、新鮮に感じる曲が多く生まれている。

結局、何が言いたいか分からなくなってきたが、自分のオリジナルを生み出すことに固執するのではなく、真似でもいいから他の物を取り入れても前には進めると考えている。

無理に特別になる必要はない。

 

・いつかn-bunaさんの歌詞(ヨルシカの歌詞)について熱く書きたいところではある。

・歩いていたり自転車を漕いでいると詩のような言葉を思いついたりするが、結局あまり意味のない言葉の羅列だったりするので、書いたところで心を動かしたりすることはない。

・ヨルシカの影響で夏の言葉や雰囲気が大好きだが、やはり冬のほうが過ごしやすい。汗かかないので。

・大学のサークルで非公認ではあるが、60人くらい集めた麻雀サークルを実質私が運営している。今後、雀荘と協力してサークル交流会だったりもするかもしれない。

・「麻雀プロになりたいの?」と言われることがあるが、別に麻雀が好きなだけで強いわけではない。

DDRも最近できていないし、ジムも契約しているがほとんど行ってないのでクソデブへの道を辿っている。なんとか飯の量は減らそうと努力している。

・ビールをめちゃくちゃ美味しいわけではないが、普通に飲めるようになった。やはり物事なんでも慣れ。

・大体Twitterに書いてることだからここら辺で終わり。

なんでもない日常

私は自転車を漕いでいる

雨の上がった澄んだ空気の夜の中を

私は自転車を漕いでいる

水溜りをタイヤで切る音がする

段差でかごが揺れている

私の速度よりも速く水を切る音が聞こえる

私は自転車を漕いでいる

周りを見渡してマスクを外す

泥の混じったような匂いがする

排水溝に雨が流れる

顔に澄んだ空気が纏わりつく

もう家に着いてしまう

咳をしても気にされない

遠くからサイレンが聞こえる

閉まったシャッターが風で揺れる

同じ日々の繰り返し

雨はとっくに止んでいた

 

私は自転車を漕いでいる

 

 

後悔していること

私の今までの人生の中で後悔していることがいくつかある。

そんなに後悔していることばかりではないが、人並みにはある。

私の発言や行動を見て、ゲーセンに行くことが好きになったことだとか、頭が悪いことだとか、そういうことを後悔しているのではないか、という風に思う人がいるかもしれないがそれはあまり気にしていない。

いわゆる、陰キャ寄りの趣味が多いことも別に望んでそうなった。

サッカーを真剣にやっていれば今よりも活発的になっていたかもしれないが、自分はゲームの話とかのほうが性に合っていた。

 

後悔していることは、中学のサッカークラブに所属していた時に、そのクラブチームで一番仲が良いと思っていた男友人と中二の後半(詳しい時期は覚えていないが)に仲違いをしてしまったことだ。

私はその人のことを嫌ったことは一度もなかった。

今でもその人のことは好きな人の部類である。

この文をもしかしたらその人に見られているかもしれないが、それでも構わない。

嫌われた詳しい理由は分かっていない。そういうところが嫌われているのかもしれないが。

恐らく、自分のイキった発言が気に障ってしまったことだと思っている。

嫌われた後も、パス練習のときにペアを組んでいたが、ほぼ会話はなかった。

このような状況になってしまったのは、私に原因があるとしか思えないので、もし会えたなら謝りたい。

そして、昔と同じまでとはいかないまでも、良い関係をまた築いていきたい。

 

先ほどの話でもあったが、基本的に一度仲良くなったり、良い印象を持った人のことを嫌いになることは自分はできない。

嫌いだと思う人は最初から関わろうとしない。

私は妹に「人に騙されやすそうだよね」と言われることがあるが、実際自分でもそうだと感じている。

騙されそうになっている私を見つけたら、もし優しい人がいれば助けてほしい。

 

私はただただ嫌われるのが怖い。

尖った発言もせず、相手が不快にならないように常に気を張っている。

通話しながら、ゲームをやっている時も発言一つ一つに気を付けようとしている。

それでも、防げないときはあるのだが。

自分の性格が嫌なわけではないが、思い切った行動もできないのが枷になっているところもあると感じている。

こんなところで後悔を嘆いているなら、直接本人に言えばいいところも自分の良くない部分が出てきている。

 

細かい後悔はいくつかあるが、それらの後悔と比べてこの後悔は100倍くらいは引きずっている。

 

文が上手くまとまってないかもしれないが、今回はこれで終わる。

夜の空気は澄んでいる

私は春の暖かい気候も好きだが、一番好きな時間は夜の空気が澄んでいるときだ。

夜になると、何故だかわからないが空気が澄んでいる気がする。

 

車通りや人通りが少なくなっているからかもしれない。

 

私は大体、夜の時間帯にバイトに入っていて、帰りはいつも22時以降になるのだが、その時に自転車に乗って、車の少ない大通りを走る時間が好きだ。

ちょうど昨日は雨が降っていたので、歩いてバイト先に向かったのだが、雨の静けさと湿気が相まって趣を感じた。

 

私の普段のイメージだと、サッカーなどをやっているので暑い夏の気候や騒がしい場所を好んでいるように思えるかもしれないが、実際はそんなことはない。

むしろ、涼しい雨の日や落ち着いた場所のほうが好きだ。

 

静かな環境にいるほうが、アイデアや様々なことを考えるのに適している。

実際、入試や勉強しているときは、静かな環境が自然と生み出されている。

 

私の好きなアーティストや作品は、夜に関係しているものが多い。

代表的なものを挙げると、アーティストだとヨルシカ、YOASOBI、ずっと真夜中でいいのに、といった巷では夜行性だの呼ばれているものだ。(私はこの呼び方はあまり好きではないが)

作品だと、最近ではよふかしのうたという漫画を読んでいた。

 

夜には人を引き付けるものがある。

子供のころは、夜は外に出てはいけないと言われていたから、抑圧されていた分の憧れもあるのかもしれない。

私がなにか詩や話を書きたいと思うときは、大体夜に外で歩いているときだ。

 

普段歩いている道やよく見るお店は、夜になると違う表情を主張してくる。

街灯の明かりしか道しるべになってくれない道路、シャッターの下りた飲食店、俯いて歩く黒なのか紺なのかわからないスーツを着た人。

 

夜を楽しむために昼をすごしているのかもしれない。

 

くだらないは面白い

しばらく文章を書くということをしてこなかった。

なぜ今更ブログを再会しようと思ったのか。
進路が決まって時間が空いているというのもある。
だが、一番は文章を書くことで人と関わりを増やそうと思ったからだ。
受験とコロナ禍のダブルパンチで人と話す機会がめっぽう減ってしまった。
その時に感じたのは、自分の話がどんどん面白くなくなっていた事だった。

今までは学校でいくらでも話が出来た。
真剣な話もあれば、くだらない話もあった。

個人的にはくだらない話こそ一番美しく、面白く、そして難しいと思っている。
くだらないと言っても直前の会話と全く関わっていない話をするのは違う。
ある一単語だけを拾ってそれに関連した話を広げていくような会話が好きなのだ。

そんな会話は外から見るとどうでもよかったり、意味が分からないような話も多い。
話している本人達ですら理解しきっていないところがあるかもしれない。
だが、自分はくだらない話を広げていくのが好きなのだ。

しかし、今はそんな会話ができる状況ではない。
友達と通話したりはするが、それはゲームなどほかの事をする中の一部であって、会話が本当のメインではない。
少し雑談をすることがあっても、ゲームの報告の方が重要になってしまう。

だからこのブログで自分のくだらないことも書いていきたいと思う。

ここからは近況をダイジェストで書いておく。

・私の大学合格を一番最初に知ったのは親ではなく通話しながらスプラトゥーン2をしていた友達だった。
スプラトゥーン2のプレイ時間が400時間を越えていた。お前は本当に勉強してたのか?
・バイト先の同級生にスラムダンクを連日勧められる。アマプラ加入する羽目になった。
・身体が太り過ぎている。
・1週間くらい左目のまぶたが痙攣していた。恐らく疲れ目。
・花粉症が未だ理解できない。いずれ分からせられるだろうが。
・詩か小説を書いてみたいが、読むことをしていないので先に読書をする。
・色んなゲームに色んな人から誘われるので自分の身体3つくらい欲しい。
・APEXが難しすぎる。

また期間が空かないうちに書こう。

子供の頃の情熱に勝てない今

もう夏も終わって秋に移り変わろうとしている。
気温的にはまだまだ夏が続きそうだが。
とりあえず最近で印象に残ったことをざっと書き出してみる。

・家の冷蔵庫が限界を迎えたので新しい冷蔵庫が届いた。約20年間使い続けたらしいので大往生だろう。取り外した時の汚れが酷かった。

・元中の友達に最近よく会う。偶然会う確率が高く、自転車ですれ違った時に大声で「おま、何回会うんだよ?!」と言われてしまった。俺が聞きたいわ。

・無くし物が多い気がする。イヤホンのケース、メガネケース、元小中の名前など、自分の気づかないうちに忘れている。元々忘れっぽいので注意して生きていきたい。

とりあえずこんな感じで生きてた。
あとは、勉強かゲームしているかだった。
ゲームは最近買ったポケモン剣盾(自分はシールド)、スプラトゥーン2スマブラSP、ゲーセンでDDR、ボルテをやっている。
特にポケモンに関しては昔からかなりやってきたのでその影響で永遠にやり続けてる。

しかし、ゲームにしても、その他の趣味にしても、現在やっていてもやはり小中の時よりも情熱が無い気がする。
小学校の頃は太鼓の達人ポケモンをずっとやっていた。
太鼓の達人は新曲が出ると、言い換えることができないワクワクする気持ちを持ってゲーセンに向かっていた。
今でも、楽しみな気持ちはあるが、小学校の時のワクワクと比べたらかなり落ち着いてしまった。
あの頃は他のことなんか目もくれず、ただただそれだけをやっていた。
ゲーセンにいれば飯なんていらないと思っていた。(帰ってきてからは辛かったが)
大したことじゃないことも、昔は楽しめていた。
結局、人生はとうの昔に完成されてるのかもしれない。
これから先は、蛇足みたく付け足すことしかないのかもしれない。
それでも、自分は昔のワクワクを求めて、今を進めていく。
やっぱりゲームは通話(会話)しながらやるのが1番楽しい。
それは、今も昔も変わらない。
一人の時間が多い現在、自分が求めているのは、人の繋がりだと感じている。

次はもっと明るい話題にしよ。